フランス発祥のクレープ、日本に広めたのは誰なのか?

誰がクレープを

日本にクレープが来たのは1970年頃と言われています。

1972年「ディッパーダン」の1号店がスタートしたそうですが、そこでクレープが売られていたのかは定かではありません。

1976年「マリオンクレープ」1号店が、渋谷の駐車場にてワゴンスタイルでスタートさせました。

そして1977年、原宿にマリオンクレープが移転し、同時期に現カフェクレープの「ブルーベリーハウス」1号店も誕生しました。

カフェクレープ
マリオンクレープ

一説によると、このブルーベリーハウスが日本にクレープを広めたと言われております。

当時のクレープは、焼いた生地にジャムやチョコレートを塗るだけのものでした。そこにアイスクリームを入れ始めたのがブルーベリーハウスです。

これが大ヒットを生み、今の日本のクレープ文化を作り出したそうです。

さてこれは本当なのでしょうか??


“クレープのパイオニア”の称号はどの企業も欲しているのですが、クレープを日本に初めて出店した企業と、日本に定着させた企業は違うようです。

ゆえに誰がクレープを日本に持ってきたのかを決めるのは難しいのです。ただ1970年代に原宿から日本全国に広まったことは間違いないでしょう。


さて今回の記事では、日本でのクレープの起源について調査してみようと思います。

「クレープ好き」を自称するなら絶対に押さえておきたいポイントなので、この知識も持ってみんなにクレープ雑学を披露しましょう。

日本におけるクレープの発祥とは

まずはクレープそのものがどうやって誕生したのでしょうか。

クレープの誕生はフランスのブルターニュ地方と言われています。

ブルターニュ地方
 フランス/ブルターニュ地方

ブルターニュ地方は雨と霧が多く、日照時間が少ないため小麦の生産が困難でした。

そこで生産可能な”そば”の栽培を行うようになりました。


西暦500-1500年、フランス中世の国民はとても貧しく、小麦のパンを満足に食べることができませんでした。

そこで、そば粉から作る”ガレット”がパンの代用食として、長く国民の主食となっていました。


その後の1600年頃、ルイ13世の妻であったアンヌ王妃という女性が、ブルターニュ地方へ訪問しました。

そこで現地の人々が食べていたガレットを偶然口にして、とても気に入り宮廷料理に取り入れたといわています。


宮廷ではガレットもそば粉から小麦粉に変わりました。さらに牛乳やバター、卵、砂糖などが加えられ、より美味しいものへと変わっていきました。

国民が食べているガレットは、塩と水のみで作られるとても簡素なものでした。

名前もガレットから、布地の”ちりめん”に似ていることから、フランス後でちりめん(crepe)と呼ばれるようになったそうです。

ちりめん
ちりめんの生地
アンヌ王妃
アンヌ王妃

誰が日本にクレープを広めたのか??

次にこのフランスで生まれたクレープが、日本に来たルーツを調べてみましょう。

冒頭でも紹介したとおり、1970年代に原宿からスタートしたことは間違いないでしょう。原宿から全国にクレープが広まり、今あるクレープの形になっています。


調査した結果”クレープの発祥”と自称しているのは「マリオンクレープ」の岸伊和男さんと「カフェクレープ」の小野瑞樹さんのどちらかです。

岸伊和男さん
マリオンクレープ岸伊和男
小野瑞樹さん
カフェクレープ小野瑞樹

まず岸さんの経歴をとあるインタビュー記事から引用します。

1944年生まれの岸さんは現在78歳。23歳から29歳までフランスに住んでおり、そのときの経験を生かしクレープ店を日本ではじめたと語っています。


また岸さんいわく

『紙に包んで食べる。あのスタイルも、当時私が考えたものです』

『あるアイスクリームのショップを参考に、クレープにアイスを巻いたりしました。そう、あれも私の発案です』

というように、まさに今あるクレープの形は岸さんによるものだと語っています。

第461回株式会社マリオン代表取締役社長 岸伊和男氏

https://in-shoku.info/foodfighters/vol461.html

続いて小野さんの経歴を見てみます。

1947年生まれの小野さんは現在75歳。カフェクレープのホームページにて”クレープパイオニア”を自称しています。

またエピソードとして、夏に売れないクレープに困った小野さんは『アイスクリームやフルーツ、生クリームを初めてクレープに入れてみたところ、これが大ヒットした』とあります。

PR TIMES「株式会社CAFE CREPE」

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000047838.html

岸さんと小野さん、どちらも今のスタイルのクレープの発案者と称しているので、何が本当かは謎に包まれたままです..

2022.9.11追記

当時の若者として原宿を知っている方から、この記事にコメントをいただきました。

『どちらが先かと言うと、マリオンさんが最初です。後から隣と道の向かいにマネをしたお店が出来ました。小野さんが初めての人では無いです。ラフォーレ原宿が出来る前にマリオンさんはありました。』

ということで、原宿の1号店はマリオンクレープで間違いないでしょう。

現代のクレープ

結局誰が日本にクレープを普及させたのか、私の答えは出ませんでした。

しかし1970年代に誕生したクレープはただジャムを塗るスタイルから、アイスやフルーツが盛り付けられ、日本独自の文化を作ってきました。


そしてクレープ誕生から50年経過した今、その文化はアップデートを繰り返し、見栄えとおいしさはずっと追求されてきました。

2022年現在、SNSで誰もが写真や動画を投稿するようになり、いわゆる”映える”クレープが注目を集めるようになっています。

これだけ続いた文化ですから、もはやクレープは一時期のブームとかではなく、デザートの定番として確たる地位を50年で築きました。

クレープチロル
Creperie Tirol
ジェラートピケ
GELATO PIQUE CAFE
クレープパーラ
PARLA
コムクレープ
comcrepe

2 COMMENTS

古娘(コムスメ)

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今も継続されていますか?

クレープの事で、当時の若者としてコメントさせて頂きたいのですが。

どちらが先かと…
マリオンさんが最初です。

後から隣と道の向かいにマネをしたお店が出来ました。

小野さんが初めての人では無いです。ラフォーレ原宿が出来る前にマリオンさんはありました。

また、隣に出来たクレープ屋さんの後ろのビル(当時はジュネスビル)という名前で新築でした。

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ゆきち

貴重な意見ありがとうございます!ネット情報だけでは、何が本当かわからなかったので..。ということで記事を修正しておきますね。

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